教員における最上位の職階である。しばしば勘違いされがちだが、教授は教員の職階の一名称に過ぎなく大学等教員の総称ではない。

教授になるための基準については、各大学、専攻分野、所属組織によって違いがある。

過去には大学(短期大学および大学院を含む)の学生部長、教務部長、就職部長、図書館長、学長室長なども教育職員の中から選ばれることが多かったが、大学の機能分化や経営重視の方針により特に私立大学では最近はあまり見られない。

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アガシーは古生物学者、地質学者(1807―73)スイスのモラー湖畔で5月28日、プロテスタント牧師の家に生まれる。

初めローザンヌで、のちにチューリヒやハイデルベルクなどの大学で、薬学や自然科学を学んだ。

学生のころから、現生魚類および化石魚類の研究に没頭し、彼の生涯の大著となった『化石魚類』Recherches sur les poissons fossiles全5巻(1833~34)の一部を出版したことで、パリにいるキュビエやフンボルトの知遇を得た。

1832年には若くしてノイシャテル大学教授に任命され、同大学を科学研究の中心とした。

1834年に化石魚類研究のためイングランドを訪問、同年に王立地質学協会からウォラストン賞を授与された。

1836年には氷河の研究に着手し、その後10年間にスイスやイギリス、さらに南北両アメリカの氷河を研究し、氷河時代を提示し、1847年には「氷河の体系」という論文を公表した。

1846年アメリカに渡り、各地で講演を行い、1847年にハーバード大学の動物学および地質学教授に任命され、1859年にはここに比較動物学博物館を設立した。

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この博物館への執着や動物学研究のための恵まれた環境のため、教授として招かれたにもかかわらず、ヨーロッパへ戻ることを拒み、1861年にはアメリカに帰化した。

魚類をはじめ動物の研究に優れた業績を残したが、ダーウィンの進化論には反対していた。

なお、海洋学・動物学者のアレクサンダー・アガシーは彼の息子である。

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